ニュース西海新聞社          
                                             前長崎市長 撃たれる。選挙期間中  
2007年4月17日 午後7時52分。伊藤一前長崎市長 撃たれる。

長崎県県警本部の報によると、

午後7時52分、長崎駅前。伊藤一長選挙事務所前にて。
伊藤一長氏が、拳銃で撃たれた。

午後7時54分に、犯人を取り押さえた。


午後10時、長崎県警本部会見の報。

伊藤一長 前長崎市長が、胸などを拳銃で撃たれて、意識不明、心肺停止との報。


被疑者は、長崎市にある山口組系指定暴力団の一員とのこと。


なお、午後8時17分現在、長崎県県警本部は、電話がつながりにくい状態だった。

同午後8時23分
 長崎市役所も、同様に電話つながらず。



余談。

「本紙も放火され、命拾いをしたのを思い出しました」

本紙記者も、元長崎市長の本島等の銃撃は、1990年だったと記憶するが、

ちょうど社会部と政治部の兼用記者をしており、長崎市役所の狙撃現場を通りかかった。

その後、本紙も放火された、7年ほど前の、事務所での命拾いの記憶を思い出させる。
書きかけの数千枚の原稿を焼け跡から探したが、見つからなかった。

私の言論活動、文筆活動などは、いつも命がけの連続できたのであった。

まだまだ道半ばながら、長崎時事新聞だっただろうか、その論説委員の力武さんが、
「治まるところに治まるよ」とおっしゃられた言葉を、最近よく思い出す。

すでに2000年前のローマ時代から新聞言論活動はあり、「たとえ死すとも、暴力によっては
言論などの活動は、無くなる事はない」と、

厳然たる歴史として現れてくることになるだろう。

歴史は、今後、激しく動くだろうか。


そして、不思議なことに、
7年後、この焼け跡で失われた昭和33年の10円玉が、
買い物先で、私の手元に戻ってきた。

コイン集めの中で、昭和33年の10円玉は、通の間では価値があるのだ。
私は、私の昭和33年の10円玉の顔をよく覚えていた。その傷の部分も。

7年後、たまたま、スーパーで買い物のおつりで、私の手元に奇跡的に戻ってきたのだ。
誰かが、焼け跡で拾って、使ったのだろう。黒くこげてしまった10円玉だった。
私はなぜか、それと気づいた。

私は、この10円から再出発しているのです。


ニュース西海新聞社 主席論説員 坂井宏輔

2007年4月17日


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